こんにちは。
飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマミチです。
約10年前、EMDRのワークショップに参加し、そこで流れ出てしまった自分の涙を、同じ会場にいる上司にさとらせまいと、四苦八苦している私です。
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上司は幸いなことに私の涙の決壊には気がついてはいないようでした。
というよりも普通に考えると、上司だってその時は患者役であれ、治療者役であれ、自分自身のロールプレイに集中していたのだと思います。
治療者役の先生は真剣な表情で指を左右に振って、その場にとどまるように優しく声がけをしてくれています。
その間、私は自分の内側は猛烈に、なんというか、足掻いている、という状態でしょうか。
私はトラウマとつながっている不快なイメージ(そしてそれが涙の原因だと私はニラんでいました)が頭の真ん中を占領してしまわないように、頭の中の引き出しの中をやたらにかきまわして、なにか他のもの、自分に必要な別のなにかを必死に探していました。
相変わらず、治療者役の先生は指を左右に振っています。そして患者役の私は涙を流しながらその指を目で追っています。
私は引き出しの中をひっかきまわしていましたが、なにを探しているのかは自分でもしかとはわかりません。それでも、あれでもないこれでもないと、引きずり出してはポイポイ投げちらかしています。
何回かつかんでは投げつかんでは投げ、をやっていた時、ふいに恩師の顔が浮かびました。私に初めてカウンセリングについて教えてくれた先生でした。
予想外の顔が出てきて、ほっとしたことと、嬉しさで一層涙があふれてきました。
ふと、こんなに涙を流して大丈夫なのか、という理性ともなんともつかない声がかすかに聞こえましたが、この涙は心地がよくて、それからの連想は止まりませんでした。
今までの人生のあちこちで出会い、私を支えてくれた人々のあたたかい顔が、ぽこんぽこんと浮かんできては、それらが木の実のようになりはじめました。いつの間にか私の頭の周りには枝が生え、葉も生い茂っていて、木の実はその間に心地良くぶら下がっています。
そうして足のほうは、木の根のように床にしっかりと根を張っているのを実にリアルに感じています(しつこいようですが、実際の私は椅子に座って治療者の指先を追っています)。
「治療」が終わって、講師の先生は穏やかに「ロールプレイでどんな体験をされましたか」と尋ねてくれました。治療者役の先生は幾分か疲れた顔をしています。多分、滂沱の涙を流す私を心配したに違いありません。
私はロールプレイの最中に起こっていたことを詳しく話し、それはとても面白くて楽しい体験だったと伝えました。先生たちはこの劇的ともいえる展開に一緒になって喜んで下さいました。
トラウマ?
私のトラウマはどこかに飛んで行ってしまいました。
この短い、時間にして15分も満たないトラウマの処理の体験の最中、きっかけはなんであれ、自分の内側から普段気がついていない(びっくりするような!)力が作用して、ポジティブなイメージが作り出されました。
このことから私は、人が本来的に持つ回復への志向性を直感的に知れたように思います。
そうして今はいろんなめぐりあわせで私はPEのセラピストとしてトラウマ治療に関わっています。
PEのセッションの中でも、人々は時に驚くような洞察力でトラウマを乗り越えていきます。それを繰り返し目の当たりにすることで、あのEMDRのワークショップの時に得た直観は実感になりました。
人にはトラウマから回復しようとする力が本来的に備わっているということです。
これに尽きます。
●市井先生(EMDRの権威)にPEについて伝えたい☞【PE】そのネーミングセンスがいかがなものか問題
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